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2016.07.19

心も体もマッスル理論

 教材開発部の本多です。タイトルは若干アレですが、内容は真面目です。

 若輩者の私ではありますが、これまでの人生を振り返った時、それなりに喜びの体験があり、またそれなりに辛い体験もありました。そうした1つ1つの体験や人生の流れというものをつぶさに観察した時、苦難の体験ほどその後の自分を強くしてくれていたことに気付きます。

 やはり進化・成長、こういったものは負荷がかかって初めて起きるものなのだなあ、とそう強く実感している次第であります。

負荷による進化

「進化・成長は負荷によって起こる」というこの原理原則を示す一例として、筋肉発達のメカニズムが挙げられます。筋肉は負荷がかかり、筋繊維が破壊されることによって、以後その負荷に耐え抜くために、より強く肥大化します。

 他にも例えば、純度の高い金やダイヤモンドが美しく輝き、人々を魅了するのは、”高温に熱せられる”という負荷を経てきたからこそなのだと見ることもできます。

 進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」*1という考えを示したと言われていますが、これも言い換えれば「環境変化」という”負荷”に耐え抜いてきたからこそだと言えるのではないでしょうか。

心を鍛える

 この”負荷”によって起こる進化のプロセスは、心についても同様に当て嵌まります。

 壮絶な体験をされている方と対峙すると、言語化できない迫力や凄みのようなものを感じることがありますが、これは鍛え上げられた肉体を前にすると、ある種の威圧感を感じるように、その方の鍛え上げられた心がそう感じさせるのだと思います。

 また、そういった方ほど何事にも動じなくなっているものですが、やはりこれは壮絶な経験という”負荷”によって心が鍛えられ上げているからこそなのでしょう。

 もちろん耐えるだけでなく、逃げる・やめる・保留することも時には必要なのだと思います。過度の負荷がかかってしまうと怪我をしてしまい、回復に時間がかかってしまう点についても、心と体は共通しているからです。

 ですから、絶対的にどうこうすべきなんてことは言えません。少なくとも私は、そこに万人共通の答えがあるとは思いません。各々が置かれた状況に応じて、自身と向き合って判断していくしかないのだと考えます。

 そして、どうすべきかの絶対的な答えはありませんが、唯一絶対的に導けるものがあるとすれば、「苦難こそが人を成長させる」というこの事実なのだと思います。

 ですので、辛く苦しい時、「これは後に起きる進化の前触れなのだ。原理原則としてそうなっている以上、どんな体験であってもそこに例外などないのだ」と捉えるようにすると、少しは心が楽になるかもしれません。

 自戒を込めて。

 本多

*1:諸説ありますが、実はダーウィンはそんなことは言ってないんじゃないかという説もあります。少なくとも『種の起源』には、そのような記述は見られなかったのだとか。