「生きる」とはどういうことなのかと、
あらためて考えさせられることがあった。
弱肉強食という食物連鎖によって成り立つ自然界において、
「生きる」とは「食べる」ことにあると考えてきた。
しかも、食べるという行為は、様々な意味合いを持つと考え、
生をうけたものすべてに当てはまるとしてきた。
生を終えるまで、食べていかねばならないとするなら、
そのための思考や行動そのものが、生の証だと考えてきた。
過去から現在にかけ、食べてくることができたとしても、
将来にわたって食べていけるかどうかは定かではない。
ヒトであれ、動物であれ、植物であれ、それはみな同じであると考える。
だからこそ、将来にわたって、環境変化を察知し、対応し、姿を変えていく。
それが「成長」というものであるのか、「進化」というものであるのかはわからない。
しかし、そのわからない「成長」や「進化」というものがあるなら、
それは環境変化に対応しようとする過程でみられるもの。
そうであるなら、食べることができ、生きていられる今このときにこそ
日々刻々と変化している環境に、まず気づかねばならない。
常に今がよい、今のままでよいと、自己満足し、
結果的に安堵しているようでは将来はない。
追い求める理想は高く、見つめる現実は厳しく。
そんなことばかりを考える1日だった。
中嶋